僕はここにいます。

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電車の揺れで足元をふらつかせた酔っぱらいの鞄が、シートで眠りかけている僕のおでこに命中した。そいつのすねでも、思い切り蹴りつけてやりたかったけど、そんなことで喧嘩になってもうざいだけだし、ましてや、今の僕は会社という社会の一部に属している。今の僕は僕一人の僕じゃなくて、いろんな名義を背負っていることを意識したこと、キレるのを我慢して胸を苦しませながら、そう意識できたこと、ほんの少しあの頃から大人に「慣れて」きたかなと思う。別に特に不機嫌な訳じゃない、だからと言っても、もやもやを抱えない訳でもない。 アムリタじゃないけど、最近思う。何も出来ない自分に堕ちて、 マイナス思考の悪循環に堕ちて、堕ちて、落ち着かない。かと、思えば、すぐにでも、背中に羽が生えて、何でも出来そうなくらい、 人を見下したり、この星のスターになるとか、はずかし気も無く思えたりする。全く、そんな繰り返しだ、ここのところ、そんな繰り返しのジェット・コースターに酔いもせず飽きもせず乗ったままでいる。 ずっと昔、恋人と行くと別れるというジンクスのある小さな遊園地に行った。 夕暮れ時の急流滑りのてっぺんで、頬に触れるか触れないかのキスを君がしてくれた。 その直後の「君と堕ちていく」みたいな心地いい不安の急流などもなく、 今はあっぷあっぷのアップ・ダウンを繰り返している。 「カーブのため少々電車が揺れます」のアナウンスが言い終わる前に電車の中身が遠心力に包まれる。 地球の時転と公転と電車のカーブが奇妙なくらい重なったとき、 はじめて、この上がり下がりのレースからはずれるのかも知れない。 それは列車の脱線事故を意味しているのかも知れない。 そんなことを考えながら電車が目的地に着いた。 流れ出るように、違う、外の世界に吸い込まれるようにして、 肩をぶつけ合わせながら、不機嫌な目をした人達と駅のホームに降り立つ。 汗や、香水、お酒、夢、希望、媚、挫折、殺意、そんなものを混ぜ合わせた車内から出ると、 11月という寒さも心地いいものに感じられる。襟元を吹き抜ける風が、火照った体を落ち着かせる。 ふと駅構内の見取り図が目に入る、地図…二年前の夏にロードマップを買った、 生まれつきの方向音痴が少しでも治るように、毎日、子供が動物図鑑を見入るように見ていたっけ。 そう言えば、それから半年後に空色の車を買った、軽よりほんの一回り大きな車だった。 自転車に初めて乗れたとき、どこへでも行けそうな気がした。 新幹線に初めて乗ったとき、どこへでも行けそうな気がした。 ハンドルを初めて握ったとき、同じような気がした。そう覚えている。 地図を見ながら、街を走る。ネオンやガラスやライトや…君のダンシング・アイズ。全てが宝物だった。 宝の地物を手にした少年、月の光が目に焼き付いている。 小さなビック・ボーイ、ビックなハートを手にいれた。


ふと、臓器移植の広告が目に入った。死んでからも生きる意思か…。脳移植はその脳の持ち主の意思を引き継ぐらしい。ふと、昔のことを思い出した。あいつは、臓器提供の意思を示してから、三日後に交通事故で死んだ。ニュースで耳にした時は耳を疑った。行方不明になった五才の女の子が姿を消す前、鳥になりたいっていつも泣いていたらしい。想いって、強く思えば、叶うのかも知れない。 自分自身が想いに従うのかもしれない。いつもいつも僕は未来の自分を想像し、強く想っていた、現実との境目が分からなくなる程に。そして、子供の頃の頑張った記憶、例えば、どんぐり千個集めたこと、人はちっぽけなことと思うかも知れないけど、僕にとっては小さい頃なりにも、大きな自信なった。それが自信になって、絵画コンクールで佳作に入れた。それが自信になって毎日学校のトラックを走った、肥満を克服して、運動部に入った、一年に三百五十日以上学校に通ったこと、高校受験、大学受験、大学の間一つのバイトを続けたこと、就職活動、そして今。目標を立てて頑張ること、結果を出すこと、自分を誉めてやること、次に繋げること。一つの結果が次の目標に繋がっていくことを僕は小さい頃に感じることができたと思う。最後の夏の県大会、僕のミスでチームが失格になったことや、大学受験失敗で後期試験でツーランク下の大学に滑り込んだり。でも、それが不思議と自信になっているから不思議だと思う。今でも人生で一番辛いことは、夏の太陽の下、汗が目に入って痛かったあの練習だと思えている僕は幸せなんだろうな。


今日も昨日と同じで、腕利きの良い職人がやるように、 僕の薄っぺらな胸とか、気持とかをこれでもかって程に削られた。 毎日毎日、空気の悪い職場の臭いが、なんとなく屋内プールの塩素の臭いと重なっていく。 こんな無機的なところで、ヒトデナシに囲まれて、僕も人では無くなっていくのかも知れない。 どんな世界に入ったって、始まりはいつもこんな気持ちだった、 雨の粒と鼻から浮き出る脂と指紋で眼鏡の視界が曇っていく。 ロッカー・ルームが、ふと、ピラミッドの地下に忘れられた墓場に思える。ハウスダストが体の中に溜っていく。 開き直っても、開き直っても、心開けない自分がいて、もう終りにしようって決めたことは何度もあった。 ふと気付くと、ホームのエスカレーターに乗っている自分。 前にいる女の人の黒い髪と、小柄な背中が君のことを思い出させる。 「今からどこに行こうか?」そう、振り返りながら僕に言った。 人違いをしたように赤らめながら、僕の後ろの男の人に手を振った。 いつの間にか、僕がカップルの間に割り込んでしまったのだろう。 愛想笑いの苦笑いを浮かべて、足早にエスカレーターを駆け上る。 一瞬で真顔に変わる、なぜこんなに作り笑顔が上手くなってまったのだろう。 それに連れて、真顔の時間が増えたような気がする。感情を置き忘れてきている、ああ。 カツカツと革靴の底が音を立てる、「僕はここにいます」と訴え駆けるように、囁くように。 今日みたいに、気が仕事に負けそうな朝は、新しいネクタイを選んで付けた。 ほんの三日前、毎日遅くまで頑張ったご褒美に一本千円のネクタイを三本買った。 たった三枚の紙切れで買うことのできる小さな幸せが僕の背中を押してくれる、 いや、首に巻きつけられて引っ張られているだけかも知れないけど。 ネクタイなんてほんと意味が無いと思う。意味を付けるために、手を拭いてやろう、汗を拭いてやろう、 昼食後に口を拭いて、「ごちそうさま」って大きな声で言ってやろう。 僕の存在意義もそんなネクタイの意味みたいに取って付けたようなものだ。 付けた意味を絶対離さない、それは自分の生を手放すようなものだ、 ゆっくりと意味のないものに意味を付けていくように生きていけたら最高だと思う。 世の中で自分だけ、辛いとか、悲しいとか、寂しいと思ってしまう夜がある。 「人とは比べられない」そんなことを歌った歌を聴いたとき笑顔になれた。 過去の自分と比べるというのは許させるだろう、これならルール違反じゃない。 痛みに慣れることが忘れていくことなら、僕はこのままでいたい。 痛い、痛い、と自分を捨てそうになっても、僕はこのままでいたい。


帰りに寄ったコンビニで、パック入りの麦茶とおにぎりを2つ買った。 今にも雨が降りそうな夜空、排気ガスと工事現場の匂い。 麦茶の味は、いつも遠い昔の時間に運んでくれる。小学生の夏休み、早朝のラジオ体操が嫌で何度もぐずった。 呆れ顔の母親は突き放すでもそばに寄せるでもなく、台所に向かっている。 冷蔵庫を開けた右側には、いつも冷えた麦茶があった。暑い日に、どれだけ飲んでもいつも冷えた麦茶があった。 コンビニの麦茶は、紙パックの成分が溶けたみたいに無機的な味をしていた。 そんな味の奥底の懐かしさを噛み締めたくて、今日も買ってしまう。 「雨が降ればいいのに」自然に口から出た言葉が、小学六年生の自分に戻す。 あの頃から、体を動かすのが苦手で、水溜りのできる校庭を怖いものから逃げ出すことができたみたいな顔して眺めていた。 水はけの悪さがあちこちに水溜りを造り、それを結ぶようにいくつもいくつも川ができる。 卒業を半年後に控えた梅雨の頃だった。僕が卒業アルバムの「夢」のページに書いた言葉、 もう、何年も見ていないけど、鮮明に思い出すことが出来る。「絵を描く人になりたい」。 あいつは、「パイロットになりたい」、あいつは、「消防士になりたい」、あいつは、「プロ野球選手になりたい」。 どうして、あんなに夢みたいなことが言えるのだろう。僕には頭に浮かばなかった。 夢を初めて持てたのは、大学を出る一年前で、その二年後に社会に出てしまったから、 僕の人生は現実そのものだった。現実とのギャップにキャップを目深にかぶってしまう。表情とか気持ちとか周りの人に気付かれないように。夢を見るように、もっと遠くを見ていたかった。 コンビニの冷たいおにぎりがなぜか好きで、店員の温めますかの言葉に、苛立ちながら体全身で拒否した。昔、あの子の手を握りながら、得意気に「暖かい手をしているだろう」と言った。「手の暖かい人は心は冷たいんだよ」ってあの子は返した。あの頃の僕は意味なんて分からなかったけど、今は分かる。 子供が「なぜ、空は青いの」って聞いたら、何て答えたらいいんだろう?光の粒子性と波動性、E=mc^2とかを説明したらいのだろうか。それとも空と心はつながっていて、人の心みたいに色々と色を変えるんだよ。って言った方が夢があるんだろうか、夢が。雨の日は何だか懐かしさを感じてしまう、雨が降るとワクワクしていた頃が懐かしい、歩きながらいつものようにダイアローグを続けていた。


一人暮らしのアパートは誰も座ることのない革張りのソファーがエントランスにかまえてある。錆び付いたポストは、差し出される全てを自ら拒んでいるように見えた。外見と内心と、理想と現実と。学校の文化祭のお化け屋敷でお化けになっているときだけ、妙に強気になって、君の髪に触れる。そんなねじり過ぎた針金の細い部分みたいに気持ちと心が離れそうだった。不器用にねじれをもとに戻そうとする度に、いつ切れるか、いつ切れるかとそれだけを考えていた。本当に怖かった。帰ってきた部屋は、灰色の埃の匂いに包まれていた。シンクにたまったコップが少し臭う。洗濯物を払い除けて、壁を伝いながらスイッチを探す。いつもと変わらない、いつもやる行動、あるはずなのに決ってすぐ見付からず、イライラしてしまう。ふと、君のことを思い出してしまう。君は、あるとき偶然、僕の携帯にメールをした。六ヶ月の間、毎日のようにやり取りして、突然ぷつりと止めてしまった。最後にメールをしたのは僕だった。もう二度とメールもしないし、電話もしないし、会うこともない。それが自然だと思う。君や僕の到底及ばないような次元の力を使って、神様が強引に二人の手を繋がせた。そんな感じの出会いだった。君は音大を目指した仮面浪人で、ときどき僕に弱音を吐いた。僕は少しも強くないくせに、君を励ます役目になっていた。携帯に描かれていく君への励ましの言葉。自分への励ましの勇気付けの言葉、「がんばれ、がんばれ」みたいな言葉がほとんどで、強い自分を演じ切っていた。君は気付かない振りをしていたのかも知れないけど、ほんと喜んでくれていた。君はメールで、「あの日の偶然に感謝!」って書いてくれた。素直過 ぎる君にも自分をさらけ出すのが怖くて、自分の言葉に「詩」という鎧を着せて、君に投げた。君の名前も電話番号も知らないまま、六ヶ月間もメールしていたのは、声が聞きたいとか、会いたいとか、そんな下心が無かったんじゃなくて、ただ勇気が無かっただけ。自分をさらけ出す勇気や自信が無かっただけ。そんな小さな僕に、気付かない振りをするのに疲れたのか、愛想を尽かしたのか、ほんとプツリと言う言葉似合う途切れ方だった。何も無い自分に戻る。自然なんだ、これが自然なんだ。


テレビから大好きな曲が流れる。あの曲は、いつも夏の日に僕を戻してくれる。CMでよく耳にした曲が、やっと発売日に店頭に並んで、そんなちょっとした楽しみが僕の体を前向きにした。CDラジカセに吸い込まれていく銀色の円盤が音を鳴らすまでの短くて長い沈黙。CMで体に染み込んだサビの部分が印象強くて、流れてくる曲が妙に違和感を感じてしまう。体全体が戸惑ってしまうけど、2、3回聴いていると、だんだん体に染み込んできて、やっとほっとできる。僕は一枚のアルバムを続けて何日も聴くことにしている。音楽は馴染みを越えると、空気になって、時間になった。久しぶりに取り出した曲を聴いて、タイム・トラベルをしてしまう時がある。空気も時間も自分も「その時」に行ってしまって、切なくなる。音楽を胸に刻むことは、時間を胸に刻むこととおんなじだ。シングルを手にせず、アルバムを心待にして、初めの違和感を乗り越えてまで、同じ曲を聴き続けるのは、今と言う時間を大切にしている証拠だと思う。無性に昔の友人に会いたくなる、今日この頃は、淋しがりやで昔を取り返したいんじゃなくて、夢を少しずつ実現できている証拠だと思う。時間と音楽と友人の関係って何だか似ているな、と思う。


一人でいると、人が恋しくなってしまうのは当たり前のことだけど、一人でいると、誰にでも心を惹かれてしまう自分がいる。数年前の夏休み、世界の花が集まっているテーマパークに遊びに行ったことがある。全く興味が無い僕は、手ぶらで軽い気持で行ったのに、それは僕を待っていてくれたかの様に見えた。カメラを持ってきていないことに何度も後悔した。太陽が僕らの腕を真っ赤に焼いて、我慢できずに、僕と君は二人して、ジーパンの裾をまくって、テーマパークの中を流れる人工の小川に足をつけてはしゃいでいた。世界一大きな花、ラフレシア。花というよりは、大きな茸の椅子に見えた。名前ほどに正直可愛くない。防腐剤に満たされたショーケースの中にあるそれを目を大きくして見ていた。僕らがラフレシアを見ていたとき、ラフレシアもまた僕らを見ていたのだろう。その目にはどう映っていたのだろうか。中国の庭園、インドの庭園、ニュージーランドの庭園、ユートピアを思わせる原色の熱帯植物…観葉植物にまぎれて、食虫植物「ウツボカヅラ」が口を開いてこっちを見ていた。売店で氷イチゴを買った時、売店のお兄さんがスプーンを探すのに、5分程待たされてしまった。二人は不思議とその時間をゆったりと感じていた。二人は花の魔法にかかっていた。帰りは海辺を歩いて帰っていた、水平線に沈む夕陽が濃い藍色とオレンジを混ぜ合わせて、静かに沈んでいる。駅の近くに着いた時、それまであまり見向きもしなかった花壇に、目がいくようなっている自分に少し戸惑ってしまった。誰を意識し始めた時の気持ちに少し似ていて、真昼とは違う涼しい風が二人の火照った頬を優しく優しく撫でていた。


朝起きて、砂袋のような体を引きずりながら、夢遊病みたいに炊飯器を開ける。ちゃんとセットしたはずなのに、炊飯器の中で、芯のあるお粥ができていた。それを茶碗によそってレンジでチンした。頭は眠ったまま、口にしたそれはボリボリと、小学校の運動会の前日に校庭の石コロを集めたけど、それの味に似ていた。意識が少しずつ現実になってきて、涙が出そうになる。ここまで、一心不乱に生きることの意味がどこにあるというのだろう。熱いシャワーが涙を隠して、蒸気になって換気扇に吸い込まれて逝く。汗とか、気持とか、重さとか、そんなもの全部、運んでくれればいいのに。朝の熱いシャワーは、不思議なくらい冷静にさせてくれる。このことに、気付かなかったら僕はダメになっていたと思う。今は「生きなきゃ」って少しは思える。着替えて部屋を出ようとするとき、ビタミン済の瓶が目に入る。水も無しに、それを飲み込む。そのときの、勇気、タイミング、効果、違和感、人生ってやつも、そんなものだと思う。


ラッシュ・アワーの混み具合が日によって違うのを不思議に思いながら、窓に流れる電線が上下するの眺めていた。人のバイオリズムみたいに周期的で、上がったり下がったり、雨の日も晴れの日も、毎日毎日繰り返しているのだろう。ふと、一人の女の人がこっちを見ていた、見ているよう思えた。別にどうするって訳じゃないけど、それだけで今日という日が前向きに見えてくる。独り暮らしを始めてから、一通りの疑似恋愛を試してみた。制服の女の子が写っている雑誌、最近のゲーム機は性能が上がっていて2Dの女の子が何人も何人も僕に恋をした、レンタル・ビデオのスリー・コイン・ラブ、飲み屋でたらふくビールを飲んだ後ネオンの街に女の人を買いに行った、小さなチラシの番号にダイヤルして女の人を部屋に呼んだ。どれもこれも、虚しさと淋しさを掛け合わせた膿みたいなものが口の中にできたみたいな気分が残った。


汗が臭う。満員電車というものは、ほんとに限界が無いのかっていう程、人を次々と飲み込んで行く。外から見たら、車内は四次元に繋がっていて、無表情に見えるだろうけど、中は大変なことになっている。みんなは知らないだろうけど、僕の中も大変なことになっている。いろんなことが毎日毎日、僕の中にこれでもかこれでもかって。もう僕の中はいっぱいです。耳も目も心も閉じて、もう何も中には入れない。「この辺で扉を閉めさせて頂きます。」そうアナウンスが聞こえる。ちょっと重なって、苦笑う。僕の心、事故らないでコロコロ転がって、雨でも雪でも、時刻表通りに走らなくていい。環状線みたいにぐるぐる回って、地下に潜ったり、高架の上を走ったり、決して脱線しないように。絶対、取り込んだモノ、溢したり、壊したり、殺したりしないで目的地まで運ぼう。僕の目的地はどこなんだろう、何なんだろう、誰なんだろう、いつなんだろ、手に入れるのは。なんか、ぼーっとしてた。吊革の白いプラスチックのベタつきも気にならなくなっていた。吊広告、僕を誘い込むような華のある言葉。ああ、情けない。もうすぐ駅に着く、僕はあの電車とホームの隙間から吹き出してくるあの熱気にぞっとする。あの熱気にはこの世の終りが含まれていて、何人もの人を吸い込もうとする。隙間の暗闇から幾つもの腕が伸びてきて、陽炎に踊らされながら手招きをする。沢山の人を吐き出して、そして沢山の人を飲み込んでいってしまった。地下鉄の後ろ姿を見送りながら、飛び散る埃をまばたきで懸命に払う。その昔、まつ毛が長いね、って言われたことがある。フランス生まれのフランス人形みたいだね、って言われたことがある。君は綺麗な細い目をコンプレックスに思っていた。確か、あの頃も今みたいなコートが必要な季節だった。ブーツが似合う君、目線が並ぶ、ブーツの底の厚さを見せる君、君の笑顔に僕は笑顔を返すことができなかった。一重の君の目の奥、臆病な僕が映っていた。鬱って、こういうこと言うんだろう。


この大都市に来てからまだ半年くらいで、ここよりもっと東に行ったら何があるのか知らない。時々、このまま遠くに行きたくなる。オフィスに向かったって、ムカムカするだけで、僕は社会にはむかないって思ってしまう。けど、サボるなんて程の勇気も無くて、囚人の行進に見える大勢の顔と自分の顔が同化するの感じながら、エスカレータに乗る。階段を上れるような力は体の隅々まで絞り尽したって一粒だって出てきやしない。正直なところ、「逃げて」、「背を向ける」勇気が無いんじゃなくて、逃げた後の少しの安堵感もつかの間で、さらにすぐ後にくる、「後悔」、「孤独感」なんかが僕の心に一杯になって、一人になって、外の車やトラックが吐き出す排気の音が鮮明に耳に届いてくる。沢山の自分にとっての必要なこと、スイミングスクールの直前にお腹が痛いと嘘を吐いて休んだあの日から、沢山のいろいろなことから逃げている。 でも、これだけは言える。逃げたことと同じくらい立ち向かったこともあった。 戦わずに負けるのは嫌だった、戦って勝った数と同じくらい、戦って負けたこともあった。でも、それぞれの経験が強さに変わった。でも、不思議なくらい負けたことの経験の方が強さに変わった。あることに勝ったとしても力を出し切れていない自分がいた。負けた時は100パーセント全力でぶつかってボロボロになった。でも、不思議なくらいそれが自分の力になっている。きっとなっている。逃げることは何も残さない、残すのは後悔と虚しさとか、それくらい。朝は確かにだるいよ!もう一度、布団に入りたいし、でもね、シャワー浴びて、着替えて、電車に乗って、会社に着くと、作り笑顔ながらもニコニコしたら、君が笑顔になった、みんなも笑顔になった、そしても僕も、もっと笑顔になった。ただそれだけで、オフィスが明るくなった。気のせいかもしれないけど、雰囲気がどうこうなんて、大抵、「気のせい」のレベルだと思うから、それでいいと思う。みんなが気のせいだと思えば、それはもう気のせいなんかじゃないんだから。


明けない夜は無いなんて歌った歌。そんな歌に励まされたこともあった。日曜の夜は明けて欲しくない夜だった。 昔、心理学の授業でこんなことを言っていた。「人間は選択支を与えられると、それ以外は見えない」有名な法則らしい。僕の選択支…。(ある子にあなたのメールの語尾には「…」が多くて分かりにくいと言われた。守っていた言葉さらけ出したら、素直になれず曲げてしまう。あなたはいつも一言多いわねと言われた。僕の人生は百点満点中十五点くらいだろう。まだ半分も解いてない人生の答案用紙、採点するころには丸は増えているだろうか。)目移りして選べない。一つのバイト先で何人もの人を好きになって、そんな僕を友達は白い目で見ていた。確にそうかも知れない。誰でもいいのかも知れない。人は人生の中で何人の人と出会うのだろう。秋の紅葉が散るみたいに、みんなは手を振りながらすれ違っていった。僕も同じように真似をして、手を振った、作り笑顔で。心は泣いていた、自分に嘘を吐いていた。ただ手を伸ばして引き留めれば良かった、手が触れた人もいた、心が触れるみたいに。タイミングが合わなかったり、距離感がつかめなかったり。キンモクセイが作ったオレンジの絨毯を汚さないように車道を歩いていた僕は秋を隣に感じていた。やるせなくて、消えたいくらいに思うときは、いつも隣に秋がいた。電飾のアーチが街に灯ろうとする季節、君が僕の一番近い場所にいた。


人を好きになることは、ほんとに不思議な力を持っていると思う。人を好きになることで、信じられないくらい大きな力になったり、なにも考えられないくらい無気力になったりする。このどうしようもないギャップが嫌で恋からいつも逃げてしまうのだけど、また人を好きになってしまう。映画館で最後のキャスト紹介で、遠い昔の君の同姓同名を見付けてしまって、君と見た夏の浜辺の夕焼けのフラッシュバックで映画の内容を一瞬で忘れてしまった。映画の中の主人公は決って容姿がいい。それだけで、フェイクだなと感じてしまう。始めに挿入される映画の予告は、どれも僕の心を惹き付けて離さなかった。そんな力を僕も手に入れることがいつかはできるのだろうか。就職活動の最終面接、遠い街から、この大きな街に初めて来る時、君の名前の新幹線を選んだこと。電光掲示板に流れる君の名前に何度も笑顔をもらった。叶うはずも無い恋を想うことで、笑顔になれたり、癒されたり、力をもらったりするのはおかしいかも知れないけど。友達にもらった僕が行けなかったカラオケでの写真、君の左手のピースサインの薬指、銀色の指輪が光っていた。


時々、自分の生について考え過ぎてしまう。僕は生まれつき、話をするのが下手で、何人かの人と一緒にいるときは、いつも聞き手にまわっていた。僕以外は話題をたくさん持っていて、面白おかしく話すことが自然に出来る人達だった、一人は海外旅行での経験を熱く話していた。みんなの目は、それに引き寄せられるように、瞬きをしていない。僕は、それに抵抗するみたいに意識的に瞬きを多くした。僕が僕について語ろうとする時、決って話題が見付からなかった。話し上手を憧れていた。もちろん君だって、楽しい話をたくさんしてくれる人がいいに決ってるだろうけど、僕はいつもニコニコしたまま、うなずいたり、感嘆の声をあげたりする役目だった。何度か話題を投げようとしたこともあるけど、いつも、噛んでしまい紅くなる自分がいる。そのせいで、口内炎ができた時、僕は僕のままでいようと決めた。ある本で、話し上手になるより、聞き上手になる方が難しいと書いてあった。有名なカウンセラーが書いた有名な本の一ページ目だった。


今日は妙なくらい晴れ過ぎていて、無理矢理元気が体に忍び入ってくるのを感じた。雨は切ない気持ちで僕に優しさをくれ、晴れは光が心の曇りを綺麗にし、笑顔をくれる。植物がその両方を食するように、僕もその両方を体に吸収した。暖房の効き過ぎたオフィスは、とても乾燥していた。喉が乾いていた、コンタクトレンズが乾いていた、目が充血していた。僕は社会のゴールまで完走することができるのだろうか、心までが乾燥しきる前に。喫煙室からは最寄りの駅のホームが見下ろせる。いつの時間でも、たくさんの人が電車を待っている。ガラス張りのここからは、線路を鳴らす電車の音は聞こえない、聞こえてくるのはエアーコンディショナーが出す音と、自分の心臓の鼓動だけ。いくつも車両を列ねて電車がホームに入ってくる、幾人もの人が降り、幾人もの人が乗り込み、電車は線路の上を滑って行った。ふと、自分以外の人々がこの大きな街で暮らしているんだなぁと思った。時々、自分だけが怖い世界に来てしまっているみないに感じて、孤独を感じてしまう。自分以外の人が怖くて、一人でいたいと思ってしまう時がある。特に空腹の時は、マイナス思考にはまってし まう。そんな時は、少しでも胃に何かを入れてやると、塩が付いたナメクジみたいにみるみる小さくなる。ゼロにはならないけど。まるで毎日が繰り返しで、今日が何月何日かわからない。君の姿を目で追いながら、自分が自分とダイアローグする。


お前は楽天家だ、そんなに人生甘くないとあいつに言われた。そんな簡単に諦めてしまうようなお前の考えの方が甘すぎると言ってやった。 帰りにコンビニで一番高いワインを買った。弱いくせにラッパ飲みでゴクゴク飲んでいた。涙が出そうになるときは、流れるだけ流した方がいいと思う。人前じゃ、後のことを考えてしまうから、一人でお酒の力を借りてもいいと思う。グルグル巻きにされた心が、スルスルとほどける。すると、ゆるんだ蛇口みたいに、ジワ〜っと涙が流れてゆく。泣くとあれだけスキっとして、気持ちいいのはなぜだろう。惨めな自分に酔っていているだけかもしれないけど、まだ涙が渇れていないことに少し安心もした。涙は神様が降らせている雨に似ている。春先にさらさらと降る雨に似ている。全てを潤して、命の芽を大きく育ててくれる。やがて、綺麗な花を咲かせるだろう。だから、絶対に渇らしてはいけない、枯らしてはいけない。絶対に。それでも自分に負けてしまいそうな時は、自分で自分に頑張れって言ってやる、それが笑顔で自分のために泣ける方法。 ロックを好きな人が、時々、それをうるさいと感じて、バラードに手を伸ばして、また刺激を求めて、ロックに戻る。人生もそんな繰り返しだと思う。


時間は人間がそうみたいに、生き物一つだと思った方がいい。時間が自分の一部だって思ったら潰されてしまうと思う。暗闇の中を歩いていると、急に目の前が明るくなる時がある。目の前の剥がれかけた痂、勇気を出して剥がせたら、気持ちが軽くなった。そんな痂を剥がせずに胸にしまい込んでいる人が溢れかえっているのかも知れない。 この大都会では、毎日のように電車のホームから人が落ちて死んでいる。時間通りに電車が走らないのは当たり前になっている。ホームにはいつも人が溢れ、肩がぶつかり舌を鳴らす。そんな生活に疲れて身を投げる人と、そんな生活に飲み込まれ、ぶつかった拍子に人生の細い道からバランスを崩してしまう人。人身事故を知らせる車内放送にみんなは無関心だった。人の死なんて、みんな興味が無い。自分の生すらに興味を持てる程の余裕も無く、決められた時間に決められた電車の決められた車両に乗る。いつも同じ顔ぶれだった。いつもいつも顔を合わせるのに言葉をかわすことも無いし、かわす必要も無い。こんなに情報化が進んで、メールやチャットや掲示板が流行っているのに、毎日の満員電車の目の前の人達と一言も言葉を交さないことに疑問を持ってしまった。死に触れるということは、その人と生活の一部に触れ、棺の中でその冷たくなった頬に触れることだ。


休みをもらって、実家に帰る。昔からぎりぎりまで行動に移さない僕、新幹線はいつも自由席だった。たくさんの人がきちんと並んで新幹線を待っていた。僕の荷物だけが異様に大きくて、まるで海外旅行にでもいくみたいに見えるだろう。今でも僕は昔と変わらず、どこへ行く時でも鞄を持っていなかったら不安だった。男の人は、ジーパンのポケットに財布と携帯と煙草だけを入れて歩き、鞄を持たないんだよ、って言われたことがある。これだけ人がいるのにみんながみんな一人ぼっちだ。日本人はうわべが上手い人種だってあの子が言っていた。初対面でも妙ににこにこし、愛想笑いをする。わざとじゃないし、それが当たり前だと思っているわけでもない、だた、自然にそうしてしまうのだ。本心は分からない、見えるのはその人のうわべだけだ。自分がうわべだけで人と付き合っているからかも知れないけど、人の本心が怖くなる。そんな人種だからこそ、集団でいるときは当り障りないのに、一人になった途端、本当の一人ぼっちになってしまう。だから、ここの新幹線のホームみたいに、関わりを持つ必要がない集団の中で「大勢の一人ぼっち」が生まれてしまったのだろう。ホームに溢れ返る人、座れることも初めから諦めていた。到着した新幹線の中で、掃除のおばさんが3人手際良く、床を掃いたり、シートの向きを換えたり、拭き掃除をしたりしていた。あまりの手際の良さに見惚れていた。頭の中でプロだなぁ…って呟いていた。プロのサービスを受けると晴れた気持ちになる。スーパーのレジで小銭を出すのに時間がかかっていると、レジのお姉さんが品物を袋に詰めてくれた。ただそんなことで感動してしまった。世の中にあふれるサービス産業のどれだけが本当の幸せを人に感じさせることができているのだろうか。本当のサービスとは、テクニックでもアイデアでもなく、「姿勢」だと思う。まさしく、この掃除のおばさん姿勢はそれそのものだと思う。掃除が終わった新幹線は思ったより人を多く飲み込んで、運良く座ることができた。前のシートには、母親とその娘が座っていて、母親は娘と同じ少女漫画を熱心に読んでいた。人が話している話題には興味が無く、人に合わせない僕だったけど、子供の話が分かるようにと、一緒に少女漫画を読むその母親くらいの努力はしてもいいかなと思えていた。カラオケに行く前日に最近のCDを借りて練習する、それくらいに人に合わせる努力をしてもいいのかなと思い始めていた。後ろのシートは僕と同い年くらいの夫婦で赤ちゃんを真中に座らせ、あやしていた。ふいにその赤ちゃんと目が合う。微笑む赤ちゃん、微笑み返す僕…心が洗われた。可愛いなと心から思えた。目を惹くポスターの女優の年齢が上がり、街で見掛ける子供が可愛く思える僕はあの頃から確実に歳を重ねていた。


地元の街の地図は頭に入ってるから、行き先を意識する瞬間に足がそっちに向かっていた。百貨店の前にたくさんの人が立ち話をしたり、ベンチに座って休んでいた。この街の一番大きな駅を出て、陸橋を渡ると、その百貨店が見える。僕はその華やかさが好きだった。ガラスの扉の取っ手のシンチュウはピカピカに磨かれ自分の顔が歪んで映っていた。インフォメーションのお姉さんは、どこかの有名のデザイナーがデザインしたような制服を身に付け、笑顔が自然で綺麗だった。照明はお城みたいなシャンデリアで、心の中をオレンジに染めてくれた。それと効き過ぎた暖房で、かじかんだ頬が花が開くみたいに広がっていくのを感じた。買い物が人の心を幸せにするのはなぜなんだろう。僕は相変わらず、自分にお金を使うのが苦手で、店員の女の人の前で妙に口数が多くなり、コートの下に少し汗を感じていた。両親にブランドのバックとネクタイと、子供を生んだ友達にベビー服を選んだ。財布と気持ちが少し軽くなり、3つの大きな袋を下げていた。両手がふさがって、電車の切符販売機の前で後の人を長く待たせてしまった。両手がふさがる程、買い物したことなんて今まで無くて、なんかドラマティックで嬉しかった。自分以外の人のことを考えて嬉しくなっている自分に嬉しくなった。


実家の僕の部屋は人が住んでいない匂いがした。この部屋で、3日続けて君の夢を見た時は、さすがに潜在意識ってほんとにあるんだなって思った。叶わない恋を自分の想像だけで満足させるのは本当に嫌だった。嬉しいのと苦しいのが、3対7くらいだったから、シャドウボクシングで君のリアル過ぎる残像を掻き消した。 実家の小綺麗な本棚には、子供の頃に両親に何かある度に買って貰った熊と兎の縫いぐるみが3匹ずついた。1番大きな一つを手に取るとすごく小さな感じがした。子供のころの僕はそれを両腕に抱えていた。母親がそれを洗濯機で洗ったのを知って、泣いたこと。太陽の光の下で綺麗になったのを見て、涙が乾かないうちに笑顔になっていたこと。時間は流れてるんだなって思った。感じなくなることが、大人になるということだと、よく聞くけど、大人になることは感じやすくなることだと僕は思う。学生から大人になって、土日をアルバイトで過ごす必要が無くなったせいか、映画や小説やゲームの時間が学生の時より増えていた。ざわめく街の商店街の入り口で、民族衣装を纏った4人の「アンデス人」が民族楽器の不思議で心が暖かくなるような音を奏で、僕の心を見透かしたような大きな黒い瞳と、鳥肌が立ってしまいそうな声色で僕の足を止めさせた。ほんの2、3年前の僕なら見向きもしなかったと思う。気が付いたらその場で売っていたCDを買っていた。ゆっくりと時間を感じることができたその音をコートのポケットに入れて、人の流れに逆らって歩いていた。家で鳴らしていると、この曲は自分が小学生くらいだった時の曲だと父親がそう言った。歳が離れた親子が同じ曲に耳を澄まして無口になっていた。時間は流れっぱなしの一方通行なんかじゃなくて、離れた時間が途中で合流したりするんだなって思った。時間は共有できるんだなって思った。


人生がだんだん早くなっているような気がする。毎日は気が遠くなるくらいゆっくりに感じるのに、毎日を束ねてみると瞬き程の一瞬だ。自分は成長しているのだろうか、それとも止まっているのだろうか。他人に認めてもらえないと、成長してないと思う人がいる。すごく短い期間で、見違えるくらい変われたなら、人はそれに気付いてくれるかも知れない。そんな奇跡みたいなことって、そんなに多くないと思う。努力しないと変われないのは誰でも知っている。人の反応を期待している…そんなの奇跡を待っているんじゃない、ただの自分勝手だ。自分で自分のこと認めることから始めてみよう。一度に遠くの未来なんて届かないから、目の前のことから乗り越えよう。自分サイズの小さな夢の実現を重ねて、夢の階段を作っていこう、次の段が高すぎるなら、それの半分、またそれの半分の高さの夢を作って登っていこう、乗り越えていこう。「背を向けないということ」を「乗り越えるということ」と同義だとしてもいいと思う。自分の中だけでも。結局は「すること」も「評価」も自分のことは自分で決めるのも一つだと思う。自分のことは自分で責任を取りなさいと、子供の時に言われたような気がする。自分のことを自分で誉めてあげれた時、一番近くにいる人にも誉めてもらえたら、どれだけ幸せだろう。そんな人生がいい。全て、考え方次第なんだろうな。


考えてしまうことと、考えないといけないことが一向に重ならなくて、いつもぐったりしていて、ベッドに入るとすぐに記憶が無くなってしまう。考えないといけないことと、考えてしまうことが重なってしまった時、きっと機械みたいな人間になってしまっているんだろうな。僕は機械じゃなくて、人間で良かった。考えてしまうことで、悲しくなったり、嬉しくなったりする。僕は人間で良かった。機械じゃなくて良かった。人の一言一言に心の中で大きく反応してしまって、目が泳いでしまう。そんな時はごまかすように、天井に隠れて見えない空を泳ぐふりをした。鳥が空を泳ぐみたいに、空の端から端までを大きく仰いだ。急に空が見たくなって、君を屋上に連れ出した。驚いて目を丸くする君。弾む気持ちが階段を駆け上って、太陽の下に出た。二人で空がこんなに高いことに驚いた。自分がちっぽけなんか、これっぽっちも思わなかった。青い部分と、雲の白と陰の部分が、妙にはっきりしていて、空気が澄んでるねって、二人で笑った。電線で切り取られているよう見えるのは錯覚で、もっと高いところで、東にゆっくりと雲が流れていた。空の青が薄い雲と重なって、水色に見える。空からの風が地面で急カーブして、僕らの頬に紅色を残す。君のマフラーが肩から落ちそうになる。君より先に反応して、僕の手が君のマフラーに触れた。微笑む君が愛し過ぎてどうしようもなかった。



風が心地よかった。恥ずかしげも無く、両手を空に向けて広げてみる。太陽が指の隙間から零れそうだった。誰がどんなことを言おうと、僕は僕なんだ。塞ぎ込んでしまいそうになるこの大都会の雑音が、僕を僕じゃなくそうとしたって、僕が僕を捨てない限り、誰にも僕を捨てることは出来ない。世界中探したって、たった一人しかいない自分自身。崩れ落ちそうな路がこの先どれだけ続いても、歩き切ることを君の胸に誓おう。今、僕はここにいます。